夕方、孫二人を迎えに女房と保育園へ行ったときのことだ。
ワンパク顔をした園児が、私のスキンヘッドを指さして、
「あっ、ツルっ禿(ぱげ)!」
と言って笑った。
「こらッ! ツルっ禿で悪かったな!」
わざと噛みつくように言うと、
「ワー!」
驚き、走って園庭へ逃げて行った。
あとで女房にこっぴどく怒られたが、それから数日後。
また女房と保育園へ迎えに行くと、先日のワンパク坊やが待ちかまえていたかのように、
「あっ、ツルっ禿!」
「悪かったな!」
「ワー!」
またしても女房に怒られたので、その次はバンダナをかぶって保育園に出かけた。
すると例によってワンパク坊やそばにやってきて、バンダナを恨めしそうに見上げながら、
「それ、ヘンなの」
とだけ言って、園庭へ去っていった。
「ツルっ禿!」
とワンパク坊やは言いたかったのだろが、私の頭がこの日は〝ツルっ禿〟ではなかったので、そうと言えなかっのである。
(面白いな)
と思った。
ツルっ禿げであるのに、布一枚で隠しただけで、ツルっ禿じゃなくなったのだ。
このことに、私は考えさせられた。
たとえば、ハゲとカツラ。
カツラをつければ、ハゲと承知していても、「ハゲ」とは揶揄しない。
「あいつ、ヅラだぜ」
と、揶揄するのは、目に見えるカツラなのである。
あるいは、背が低い男と踵(かかと)が高くなった〝シークレットシューズ〟もそうだ。
背が低いとみんなが承知していても、シークレットシューズを履いて背が高くなった彼を、「チビ」とは揶揄しないで、
「あいつ、シークレットシューズを履いているんだぜ」
と、揶揄するのは目に見えるシューズである。
さて、ここからである。
たとえばカツラをつけた男が、接客業であればどうなるか。
「じゃ、ヅラもつけるよな」
と、周囲は納得。
シークレットシューズの男が俳優であればどうなるか。
「じゃ、履いて背を高く見せるよな」
と納得である。
その結果、「ハゲ」や「背が低い」という〝本質〟は問われなくなる。
このことから〝本質〟は、理由をつけて矛先をかわしてしまえば不問となり、あとはいかようにもできるということなのである。
ということは、〝悪あがき〟は実に有効な手段であるということ。
論点を拡散させればさせるほど、本質はそのなかに埋没していくのである。
以上、私は保育園でワンパク坊やから、貴重なことを学んだ次第。
「ハゲだ!」と園児に言われて考えた
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