通年のアレルギー性鼻炎のため、秋口から薬を服用しているせいか、今年は花粉症が出ない。
「あのクスリ、よく効きますね。このぶんだと、花粉症も治るんじゃないスか」
ヨイショのつもりで、耳鼻科の先生に言うと、
「花粉はこれからです」
ニコリともしないで言った。
(患者との機微に欠ける奴じゃわい)
とブツブツ文句を言っていたら、数日前から目がムズムズし始め、ついにハクションが飛び出した。
医者を〝逆恨み〟した罰だろうと、スーパー銭湯のサウナ室で反省していたら、テレビニュースでアメリカ大統領の民主党予備選挙をやっていた。
周知のようにオバマ氏が破竹の勢いで、ニュースを見ながら茶髪の太ったアンちゃんが、
「オバマ、やるじゃん!」
と感嘆していたが、考えてみれば、オバマもヒラリーも「変革」を売り物にして人気をあおっている。
フランスのサルコジも、そして日本では小泉も安倍も、みんな「変革」を旗印に圧勝してきた。
ついでに言えば、福田首相の不人気は〝変えようコール〟が小さいためだろうと私は思っている、
だが、どうして私たちは「変革」という言葉に惹かれるのだろうか。
「ニッポンを変えなきゃダメだ!」
「そうだ、そうだ!」
Aという首相が誕生。
「このままではニッポンがダメにる。ニッポンを変えなきゃダメだ!」
「そうだ、そうだ!」
Bという首相が誕生。
「このままでは……」
そしてC首相が誕生する。
つまり〝変ようコール〟は、ラッキョの〝皮むき〟のようなものなのである。
だが、考えてみれば、〝変えようコール〟は政治家だけでなく、私たちも同じはないか。
(こんな人生でいいのだろうか?)
(こんな無為な日々を過ごしていていいのだろうか)
常に〝変身願望〟に身を焦がしている。
だが〝変身願望〟も〝変えようコール〟も、その根底にあるのは「ないものねだり」なのだ。
駅の階段を上がるのがしんどいといってエレベーターの設置を望み、いざエレベーターが設置されると、
「健康のために、駅の階段くらいは歩かなくちゃ」
かつては泥がついた野菜を売ろうものなら、
「なによ、これ!」
眉をしかめたはずの主婦は、
「やっぱり、野菜は泥つきの新鮮なものじゃないとねぇ」
終身雇用制は日本企業の悪しき体質と批判され、成果主義が歓迎されたが、いまはどうか。
「やっぱ、日本にゃ、終身雇用制が合ってるんだ」
そう言えば、高校生のあいだで、詰め襟の学ランがブームになっているとニュースで報じていた。
「制服反対!」
と叫んだ〝学園民主化の時代〟は、あれはいったい何だったのだろうか。
人間は、常にないものねだりをする。
かつて自分が掌中にし、捨て去ったはずのものであっても、時が経てばまた欲しくなってくる。
私は、ゲージの中で〝水車〟を廻すハツカネズミを思い浮かべる。
走って、走って、走って、結局、元の位置から一歩も動いてはいない。
変身願望も〝変えようコール〟も、ハツカネズミなのだ。
だから努力が無駄だ、と言うのではない。
ハツカネズミで終わらないためにはどうすればいいか。
そこを考えて努力すべきだろうと、私は考えるのである。
変身願望と「ハツカネズミの努力」
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