歳時記

敵は本能寺

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 整体師に、月に2度ほど来てもらっている。
 女性だが、かつての空手仲間で、世話になって十余年になろうか。
 これだけ長く世話になっていると、私の身体に手を当てるだけで、
「〆切が続いてるの?」
 と、疲れ具合がすぐにわかる。
 治療と言うより、「転ばぬ先の杖」でお世話になっている。
 で、先日のこと。
 ヒジが痛くなったので、そのことを告げると、手首を引っ張って伸ばし始めた。
「痛いのはヒジだけど?」
 私が言うと、
「わかってるわよ。空手の突きをやってると、手首が詰まるからね。それがヒジにくるのよ」
 なるほど、と思った。
「敵は本能寺」――つまり本当の目的(元凶)は別のところにあるというわけで、身体の不具合も、私たちの社会生活も同じなんだと納得した。
「キミの将来を心配するから叱るんだ」
 なんて、部下を説教するときによく聞くセリフだが、「敵は本能寺」。心配しているのは「キミの将来」ではなく、「自分の管理能力に対する評価」なのである。
「勉強しなさい!」
 なんてセリフも同じで、人生、すべからく「敵は本能寺」という次第。
「本能寺を攻めよ!」
 と言われたら、
(ちょっと待てよ)
 と考えること。
 これを「本質を見抜く」というのだ。
 で、昨日。
 カミさんが、道場の物置を片づけていて、
「あッ!」
 と叫んだ。
「どうした?」
「片方のピアスを飛ばしちゃったのよ」
 ダイヤのピアスだとかで、物置にしゃがみこんで熱心に探しているが見つからない。
「そんなところにはない」
 私が、おごそかに告げる。
「えッ?」
「敵は本能寺――」
「……?」
「世の中すべて〝本能寺〟。つまり、ピアス意外なところに飛んでいるということだな」
「どこにあるの?」
「それはわからんが、〝敵は本能寺〟……」
「いい加減にしてよ!」
「敵は本能寺」と言うは易く、本質を見抜くのは、実に難事なのである。

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