歳時記

〝壊し屋〟は結局、壊すのである

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 民主党・小沢一郎代表の辞任記者会見を、諏訪温泉で見た。
(結局、その人間の本質は一生、変わらないのだ)
 と湯船に浸かりながら思った。
〝壊し屋〟は結局、〝壊し屋〟なのだ。
 タカは、ハトのふりはできてもハトにはなれないし、ハトもまた、タカにはなれないのだ。
 是非ではない。
 タカはタカとしての人生を歩めばいいし、ハトはハトとしての人生を歩めばいいのだ。それが〝天地の理〟に叶なったことであるにもかかわらず、状況に応じてハトのふりをしたり、タカのふりをしたりする。
 だから最後の最後になって、辻つまが合わなくなるのである。
〝合わぬ辻つま〟を合わせようとすれば、そこに無理が生じるのは自明である。それを民主党の面々が知らなかったとしたらマヌケであり、知っていて小沢を代表に担いだのだとしたら、天にツバしたことになる。
 湯船に浸かりながらそんなことを思っていると、眼下に広がる諏訪湖の彼方に夕陽が沈んでいく。曇っていて太陽は見えないが、雲の合間から差す弱光でそうとわかる。
 私は沈む夕陽が好きだ。
 正月に初日の出を見るのをやめて十数年になるだろうか。
 ある年の暮、ふと思ったのだ。
(みんな新年の初日の出を拝むけど、大晦日の沈む夕陽にこそ、一年の感謝をすべきではないか?)
 友人や家族はヘソ曲がりと言うけれど、以来、私は沈む夕陽のファンになったという次第。
 そのデンでいけば、私は民主党のファンにならなくてはいけない――と言ったのでは、イヤみになるか。
  風呂に入っていると、いろんな思いがめぐるのである。
 

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