亀田興毅の記者会見をテレビで見た。
興毅の判定勝ちである。
取材記者が「正論」で詰問し、興毅が「情」で応対したからだ。
「反則を指示したのかどうか、そこが大事なんです!」
取材記者はヒステリックに追求したが、相手は20歳の〝子供〟。
(そこまで責めて、どうするんだ)
と思ったのは、私だけではあるまい。
「指示した」と視聴者の誰もが思っているのだから、これでは記者が悪役になってしまう。
むしろ、
「オレらの中では、世界一のおやじだと思ってる」
と涙をこらえた興毅に同情が集まり、会見に出席しなかった父親への批判は影を薄めた。
もちろん、亀田ファミリーへの批判は依然として強く、あの記者会見は茶番だとする人も多いだろうが、同情票を集めたこともまた事実だろう。
日本人は「情」に弱いのだ。
それは、「惻隠(そくいん)の情」が武士道の中核をなしてきたという歴史が、日本人のメンタリティーに大きく影響しているからだと思う。
「惻隠の情」とは、簡単に言えば「敗者への思いやり」のことで、日本人は敗者に対して居丈高な態度を取ることを潔しとしないのである。
私が興毅の判定勝ちとするのは、そういう意味であって、興毅の言い分を認めたということではない。
ついでに、亀田ファミリーの父親について言っておけば、今回の一件は〝渡りに船〟だったかもしれない。
つまり、これまで父親が表に出るメリットは、「亀田ファミリー」というウリにある。ワル一家の印象も、ファミリーの結束に大きく貢献している。
だが、亀田ファミリーが有名になってからは、父親の課題は「いつ表舞台から引くか」にある。
つまり、亀田ファミリーのビジネスということから考えれば、ウラで動き、画策するのが賢明で、ファミリーの長たる父親が表舞台に居続ければ、コトが起こったときに矢面に立たされる危険がある。
今回が、まさにそれである。
ところが、ライセンス無期限停止で、表舞台に立てなくなった。
これからは、否応なくウラで動くことになる。
むしろ、父親にとっては結構なことではないか。興行やグッズ販売など、ビジネスをするのにボクシングのライセンスは不要であり、違法行為さえしなければ、表舞台にいないのだからバッシングされることもないのだ。
貧乏くじを引くのは金平会長だろう。
亀田ファミリーのワガママが続けば、彼が板挟みになり、結局、ババを押しつけられることになってしまう。
金平会長は色気を出さず、亀田親子とは手を切るべきだったと思う。「ボクシング界の将来」という大義により、毅然たる態度を示せば、名門ジムの名声はさらに高まったろう。
興行価値があるのはわかる。
亀田ファミリーが〝復活〟すれば、うまみはある。
だからこそ、亀田ファミリーと手を切れば、「さすが協栄ジム」と評価されるのだ。
協栄ジムの将来にとって、そのほうがよかったのではないかと、私は思うのである。
だが、もしそんな皮算用をしたとしたら墓穴を掘ったことになるだろう。
謝罪会見は、亀田興毅の判定勝ち
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