歳時記

「欲のバルブ閉鎖」をもって悟りとす

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 人生とは、モノを獲得し、所有していくことである。
 オギャーと生まれて、まず生きるための知恵を身につける。だから腹が減れば泣いて親に知らせる。
 学校に上がってからは、勉強を通じて知識を得る。損得という利害を知る。人間関係を知る。競走に勝つことの意味を知る。
 社会に出てからは、金銭を得、伴侶を得、地位を得る。このほか、家や車、馴染みの飲み屋など、実に多くのモノを獲得し、所有していく。
 むろん、いいことばかりではなく、苦労も背負う。
 これが、人生なのだ。
 ところがお釈迦様は、
《何者も「自分のもの」ではない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかなる道である》
 と説く。
 つまり、
「地位、名誉、財産、家庭、健康……など、すべては〝自分のもの〟ではないということを知り、所有に対する執着を捨てれば、物欲から解放され、幸せな気持ちになれる」
 と言うわけだ。
 確かに、お釈迦様の言うとおりだと思う。
 だが、「人生=所有」という日々を生きてきて、
「家も財産も、自分のものじゃないと思え」
 と言われても、凡夫たる私たちは、
「はい、そうですか」
 とはならない。
 せっかく手に入れたのに、冗談ポイだろう。
 そこで、私は、こう考える。
 たとえば、ある年齢を設定し、そこに至るまでは「バルブ全開の人生」を、そして、その年齢に達したら、「バルブ閉鎖の人生」を生きるというものだ。
 たとえば五十歳で線を引くなら、この歳になるまで、とことん努力する。会社では出世をめざす。趣味も手を広げる。テニスクラブに入会するのもいいだろう。頼まれれば、町内会の役員も引き受ける。
 だが、五十歳を迎えたら、そこを、人生という名の放物線の頂点と考え、獲得のバルブを締めるのだ。
 所有しているものを捨てるのではなく、これ以上、所有しないのだ。
 そうすれば、供給がなくなるのだから、放物線が緩やかに下降するように、人生のソフトランディングができるのではないか。
 私は、そう考える。
 もちろん、
《何ものも「自分のもの」ではない》
 という悟りの境地に達すればベスト。
 それが叶わぬ凡夫であるなら、「欲のバルブ閉鎖」をもって、悟りとしたい。

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