人間には、「理性」と「感情」が同居している。
だから、やっかいなのだ。
(あの野郎、虫が好かねえな)
と、心のなかでは思っていても、利害関係にあれば、
「お世話になっています」
理性で、ニッコリ笑顔である。
だから相手の笑顔を額面どおり受け取って、
(あいつは、オレに好感を持っている)
と浮かれていると、そのうち強烈なシッペ返しを食うことになりかねない。人間の心は不可解(ブラックボツクス)であり、誤解と思い込みによって、悲喜こもごもの人生ドラマが繰り広げられるわけである。
言い換えれば、もし相手の心が読めたなら、これほど強いことはない。〝人生ドラマ〟こそ味わえないかもしれないが、ことビジネスにおいては大変な威力を発揮する。
「この値段が限界ですわ。これ以上、まからしまへん」
と渋面をつくる営業マンが、心でアッカンベーをしていることがわかれば、
「あっ、そ。じゃ、やめや」
ブラフをカマすことができる。
あるいは、
「悪いようにはしないから、ここは責任をかぶってもらえないか」
という上司の言葉が、心にもないものであることがわかれば、
「ノー」
と返事ができる。
だから古来より、心というブラックボックスをのぞき見ようと、いろいろな占いが生まれ、発展してきたのである。
このことは、天台宗開祖の最澄も同じ考えだったようで、人の心を推し量る方法として、
《風色見難しと雖も、葉を見て方を得ん。心色見えずと雖も、しかも情を見れば知り易し》
と説いた。
すなわち、
「形のない風も、葉の動きを見ることで実体を知ることができる。心も同じで、形こそないが、情の動きを見ることで、心のなかがわかる」
という意味で、喜怒哀楽など感情の微妙な変化を感知することによって、相手の心を読みとることができると言うのだ。
空手の組手試合をしていて、ある一瞬、相手の目に〝怯えの色〟を見て取ることがある。それがどんな色かと訊かれても困るが、精神を集中して対峙していると、確かに色が見えるのだ。相手の怯えた気持ち――すなわち心のブラックボックスが、相手の目を通じて一瞬の光を放つのである。
「形のないものを見る」――この素晴らしい能力を、実は私たちすべての人間が備えているにもかかわらず、そのことに気づかないでいる。漫然と生きるとは、そういうことを言うのだ。
人の心は〝ブラックボックス〟
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