歳時記

飲酒運転に潜む「明日は我が身」

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 私は保護司をやっている関係で、本日、千葉県の市原刑務所へ視察研修に行った。
 ご存じの方もいらっしゃると思うが、市原刑務所は「交通刑務所」だ。飲酒運転による死亡事故や、轢き逃げなどの交通事犯を収容する矯正施設だ。福岡幼児3人死亡事故があったばかりなので、視察研修に行く私の気持ちも暗く重いものがあった。
 私の先入観かもしれないが、市原刑務所の受刑者は、他の刑務所のそれとは雰囲気が違って見えた。飲酒事故や轢き逃げ、重過失の交通事犯は断罪されて当然だが、強盗殺人が「意志」を持った凶悪犯であるのに対して、交通受刑者にはその「意志」が希薄だからだろう。「ちょっと一杯」という甘えが引き起こす重大事件なのだ。
「意志が希薄」であるということは、言い換えれば、「いつ私たちがその立場になるかもしれぬ」ということでもある。
「一杯くらいいいだろう」「家はすぐそこだから」「酔いを覚ましてから帰ればいいや」――そんな安易な気持ちが重大事故を起こし、被害者も加害者も人生を狂わせてしまうのである。
 保護司という立場上、私は細心の注意を払って車を運転をしているが、親鸞聖人の教えを借りれば、「それは私が善人であるからではなく、たまたま悪行を犯さないですむ状況にあるだけであって、人間は誰も、状況によっては罪を犯す」ということなのだ。
 戦争を見よ。
 戦地へ派兵されれば、善良な一市民ですら人を殺すではないか。
 飲酒運転よる福岡幼児3人死亡事故は、痛ましいの一語につきる。
 私にも2歳の孫がいる。空手道場では幼児たちを指導している。愛児を3人同時に失ったご両親の心中たるや、察するに余りある。
 それを思えば、犯人の福岡市職員の非道はいまさら言うまでもない。
 だが、私たちもまた、いつ彼の立場になるかもしれないのだ。そのことを気づけば、飲酒運転など愚かなことはしないだろう。
 すべての元凶は「ちょっとくらい」という自分に対する甘えにある。
 このことは、飲酒運転に限らず、すべてに言えるのではあるまいか。社会の一員としていま私たちに求められるのは、甘えを戒め、厳しく自分を律する心だと私は思うのである。
 市原刑務所で、受刑者を見ながら、そんなことを感じた次第。

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