歳時記

人生勝利の要諦は「自分を知る」にあり

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「誰にでも何らかの才能がある」――ホスト界のカリスマ社長・愛田武氏の言葉である。
拙著『ホストの実戦心理術』の執筆に際し、知人の紹介で愛田社長にお目にかかったときに、そうおっしゃった。
 なぜ、愛田社長の言葉を紹介したかというと、私は今月、億万長者たちの成功ノウハウをまとめた『カリスマ社長の実戦心理術』(イーストプレス)を出版するのだが、その中に愛田社長も登場するからである。
 愛田社長は、自著でこう記している。
《誰にでもなんらかの才能があるはずなんです。自分の才能にいち早く気づいて、それを商売に取り入れる。これが成功の秘訣ですよ。ところが自分の才能に気づかないまま死んでいく人が大勢いますね。つまり私は、自分の才能が何かを見極める能力こそが才能なのではないかと思うわけです。》(『天下無敵の経営術』河出書房新社)
 愛田社長はフランスベッドの営業マン時代、全国ナンバー1のトップセールスマンとなり、26歳で独立。防犯器具を扱う会社、次いでカツラ会社を設立するが、これが見事に倒産した。
《途方に暮れていた時に昔のセールスマン仲間から、女性の接待をする商売があると聞いて「コレだ!」と思わず膝を打ちました。女性相手の商売でならイケるはずだ。好きこそものの上手なれというではないか。なぜこれまでそのことに気づかなかったのかと思いましたよ》(同前)
 それでホスト界へ転進するのだが、愛田社長の成功は、自分の才能が〝女性〟にあることに気づいたことにある。13才で遊郭の女性にセックスの手ほどきを受けて以後、女について徹底研究し、女性心理を開眼。19才で新潟から上京して銀座のクラブでバーテンのアルバイトをする。ホステスたちにモテモテで、銀座ホステスとバスガイドと、それぞれ別個に同棲。フランスベッド営業マンに転じて、全国ナンバー1のトップセールスマンになったのも、その原動力は、得意のトークと団地妻のナンパだったのである。
 この経験から、「自分の才能が何かを見極める能力こそが才能である」と、愛田社長は喝破するのだ。
 私も、愛田社長の人生哲学に同感である。
 成功する人間・失敗する人間、あるいは幸せになる人間・不幸になる人間の分かれ目は、まさに「自分を知るかどうか」の一点にかかっているのだ。
 たとえば「人体」を考えてみればわかりやすい。指には指の、足には足の、脳には脳の働きがある。指の機能を伸ばせば職人として大成するだろうし、足の機能を伸ばせば一流ランナーになれるかもしれない。脳を活かせば、いろんな分野に無限の可能性も出てくるだろう。
 ポイントは、自分が何であるかを知ることなのだ。指なのか、足なのか、脳なのか、爪なのか、髪の毛なのか……。指であるのに脳に憧れ、脳の働きをマネしようとしても無理なのだ。爪が足のマネをしようとするのは愚の骨頂なのだ。
 しかるに我々は、この愚を犯している。他人をうらやむ。「ないものねだり」をする。こんなに努力しているのにと不条理を嘆く。だから成功もしないし、幸せにもなれない。指は指の、爪は爪の機能を伸ばしてこそ大成する。「自分を知る」とは、そういうことを言うのだ。
 同じ会社に勤めるなら、門番より社長になりたいのが人情だ。
 だが、誰もが社長になれるわけでもない。
「オレの一生の仕事は門番だ」
 と自分に言い聞かせるには葛藤があるだろう。
 しかし、心からそれを天職と納得し、全力投球したなら、その人の人生は幸せに違いない。
 なぜなら、うらやみの心を持たないですむからだ。「充実した日々」とは、「うらやみの心」と対極にあり、これが人生の幸せというものなのである。
 役者は、誰もが主役を目指す。
 だが、誰もが主役になれるわけではない。
 名脇役と呼ばれる役者は、脇役という「自分のつとめ」に徹することで、役者としての地歩を占めているのである。主役になることだけを夢見て、不満の日々を送る役者と、どっちが幸せか、言うまでもないだろう。
 手は手の、足は足の、爪は爪の、それぞれ果たすべき役割というものがある。
 〝足の裏〟が、
「毎日、踏みつけられて嫌だ」
 と不満を口にするのは、愚の骨頂なのだ。
 なぜなら〝足の裏〟は、踏みつけられることによって存在価値があるからだ。
 人間もそれと同じで、それぞれなすべき本分(役割)を持って、この世に生まれてきている。〝足の裏〟が〝頭〟になりたい羨むのは、実に愚かなことなのである。

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