歳時記

日々のイメージは「愚公移山」

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 これまで私は、原稿や雑事が山のように溜まったときは、「除雪列車」をイメージして自分を奮い立たせてきた。巨大な〝扇風機〟で線路上の雪を吹き飛ばしていく除雪列車に我が身を重ね、片っ端からガンガン処理していくのである。
 ところが昨年秋、過労で入院してからは、除雪列車がイメージできなくなった。
「そうまでして頑張ることはないさ」
 という思いが先に立ち、〝扇風機〟が廻らなくなってしまったのである。
 しかし、だからといってヒマになったわけではない。
 すると不思議なもので、新たなイメージが浮かんできて、自分を奮い立たせるようとするのだ。「除雪列車」の替わりに、今度は「愚公移山」をイメージするようになったのである。
「愚公移山」は中国の故事で、「どんな難事でも、志をもって専念して努力すれば可能となる」ということの譬(たと)えだ。
 ちなみに意味は、愚公(ぐこう)という老人の家は山に囲まれているため、どこへ行くにも回り道をしなければならなかった。そこで愚公は「山を平らにすればいい」と考え、岩石を砕き、土を運び出す作業にとりかかったのである。
 それを見た人間は、当然ながら嘲笑した。
「山を平らにするなんて、おまえさん、正気か」
 というわけである。
 すると、愚公は何と答えたか。
「私が死んでも、子供は生き残る。子供は孫を、孫はそのまた子供を産むよ うに子孫は長く続いていくが、山はいまより高くなることはない。子々孫々が山を削り続けたならば、いずれ平らになるではないか」
 この話には後日談があり、詳しい内容についてはお調べいただくとして、私はいま、この愚公の心境で仕事や雑事をこなしているというわけである。
「急ぐな、あわてるな。淡々と、淡々と、ただ淡々と目前の道を歩めばよいのだ」
 と自分に言い聞かせると、何やら人格が完成されてきたようで、すこぶる気分がいいのである。
 だが、元来、せっかちで、短気な私だ。
 時として「除雪列車」が顔を出し、
「こらッ、さっさとやらんかい!」
 気がついたら周囲の人間を怒鳴り散らしている。
 そんなとき私は、決して反省などしない。
「そうか、人格完成まであと一歩なのか」
 と、プラス思考し、愚公に思いを馳せるのである。

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