歳時記

「失敗」は千載一遇のチャンスなり

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 昨日、ダカーポ誌の取材を受けた。
 テーマは「初対面で失敗しても、こんなケアで挽回できる」といったものだ。どう挽回するかはダカーポ誌を読んでもらうとして、取材に際して「失敗とは何か」について考えさせられた。
 たとえば、初対面の席でコーヒーカップをひっくり返し、相手の洋服を汚したとする。
 大失態である。
 ところが、これがキッカケで仲よくなったとすれば、これは「失敗」だろうか?
 あるいは酒席で上司にカラんだとする。
 大失態である。
 ところが、これがキッカケで、上司に可愛がられるようになったとすれば、これは「失敗」だろうか?
 小泉チルドレンの大蔵こと、杉村太蔵議員がいい例だ。
 当選直後、不用意にして幼稚な発言が相次ぎ、「あんなアホに議員が務まるのか」と世間の大バッシング。誰が見ても「大失敗」である。
 ところが、どうだ。
 あの「大失敗」があったからこそ、「タイゾー」は有名人となり、名前は全国区になった。彼の幼稚な発言は「失敗」だったのだろうか?
 ことほど左様に、「失敗」はその時点ではマイナスであっても、結果として「成功のタネだった」ということは少なからずある。
 「あの失敗がなかったなら、いまの私はない」
 といった回顧談は、人生の勝者にはつきものではないか。
 ならば、どんな失敗であれ、その場で一喜一憂するのはバカげたことと言うことになる。
(いまのこの大失敗が、成功のタネかもしれない)
 と思えば、落ち込むどころか、ワクワクさえしてくるだろう。
 では、「不幸」や「苦労」「辛酸」「挫折」などはどうか。
 これも同様である。
「あの挫折がなければ、いまの私はないだろう」「いまにして思えば、あのときの苦労があったればこそ、今日の私がある」――これも、人生の勝者につきものの回顧談である。
 すなわち、「失敗」だけでなく、「不幸」「苦労」「辛酸」「挫折」等々、みーんな〝成功のタネ〟ということなのだ。せっかく〝成功のタネ〟をもらいながら、「私って、なんて不幸なのかしら」と嘆くのはバチ当たり。苦しければ苦しいほど、大いに喜ぶべきことなのである。
 私など、五十余年を生きてきて、来し方を振り返ってみれば、「不幸」が「幸せ」の原因であったり、「幸せ」が「不幸」の始まりであったことがよくわかる。このことは、例として拙著『もがけ30代』(福昌堂)にくわしく書いたが、人間の浅薄な知恵で予測できるほど、人生は単純ではなく、だからこそ面白い。「日々の些事に一喜一憂するなかれ」である。
 かつて週刊女性で、こうした「人生の不思議」の観点から著名人のインタビュー記事を連載したことがある。連載を通じてつくづく感じたのは、人生、思うようにはいかないものであると同時に、そう捨てたものでもないということである。
 このインタビュー連載は、『夢は叶う』(主婦と生活社)と題して単行本になっているので、興味があれば読んでいただきたい。人生とはなんと厄介で、なんと希望に満ちたものであるか、その一端がわかっていただけるだろう。

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