歳時記

「格差社会」の批判に思う

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 友人の子息の結婚式に招かれ、帰宅すると、テレビで「格差社会」について論じていた。
 そういえば、「格差社会」という言葉が連日、メディアをにぎわせている。金持ちと貧乏人の格差がますます広がってきたいま、「小泉政治はこれでいいのか」という論議である。
 貧乏でいいわけがないのは言うまでもないが、私は番組を見ながら、「格差社会」という批判に何となく違和感を覚えた。したり顔で「格差社会」を論じているが、ついこの間まで、IT長者やマネーゲームの〝勝ち組〟こそ、ジャパン・ドリームの体現者として囃し立て、羨望したのは、メディアであり、世間ではなかったか。
 それが一転、批判を始めた。
 ここに私は、違和感を覚える。
「格差社会」という言葉が急速にクローズアップされてきたのは、ホリエモン逮捕以後である。勝ち組に対する「羨望」が、ホリエモン逮捕によって「嫉妬」に変わり、世間の嫉妬心をメディアは「格差社会」という言葉で煽り、迎合しているのではないか――私にはそう見えるのである。
 競争とは、良くも悪くも「格差」を競うものであり、それが資本主義社会だ。
 誰かが笑えば、誰かが泣く。
 悲しいかな、それが現実なのである。
 そして、この現実を前に、私たちはどういう人生を選択するか――。拝金主義に走るのか、金品より心の平静を優先するのか、大きな幸せか、小さな幸せか、貧しくとも暖かい家族の団らんか……。
 どう生きるかの権利は、私たち一人ひとりが持っている。「格差社会」に不満を言う前に、まずこのことを肝に銘じることこそ大事だと、私は思うのである。
 

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