昨夜、1カ月半ぶりに、九十九里の仕事部屋にきた。
私は今朝から部屋にこもって執筆。
愚妻は、さっさと温泉健康ランドである。
昨夜、愚妻が私のことを「極楽トンボ」と揶揄(やゆ)した。
「バカ者、わしのどこが極楽トンボだ」
と、厳しく問い詰めると、
「九十九里浜で、横笛をピ~ヒャラと吹くんでしょう。極楽トンボに決まっているじゃない」
と言い放った。
九十九里浜でピ~ヒャラには理由があるのだ。
私に龍笛(りゅうてき)を勧めてくださった大分在住のU氏が、
「1日10分の練習を心がけるように」
とメールでクギを刺し、
「笛は吹かねば鳴らない」
と、深遠なるお言葉も頂戴している。
これで吹かずにおられようか。
だから、愚妻に告げた。
「そちは愚妻であろうとも、わしは断じて極楽トンボではないのだ」
「ええ、どうせ私は愚妻ですよ」
捨てゼリフを残して、さっさと温泉健康ランドへ出かけ、私はひとり原稿書きというわけである。
だが愚妻は、「愚」の真意について誤解している。
愚妻の「愚」は、
『大賢(たいけん)は愚なるがごとし』
という諺(ことわざ)から取ったものなのだ。
これを「外愚内賢」と言い、
「賢者は知識をひけらかさないから、一見、愚かな人のように見える」
という意味で、「愚」はホメ言葉なのである。
ちなみに、「外愚内賢」を私なりに読み解けば、
「知識をひけらかさないから賢者なのではなく、自分を大きく見せたいという見栄を心の裡(うち)に封じ込める知恵を持っているから賢者である」
ということになる。
ひらたく言えば「さとり」の境地ということなのだ。
実は先夜、このことを愚妻に説いた。
友人知人が電話をかけてきて、
「ブログに愚妻と書いてある」
と、愚妻に余計なことを吹き込むからである。
ここはひとつ、きちんと説明しておかなければなるまいと思い、「外愚内賢」を説き、
「愚妻とは、さとりを得た妻ということであり、おまえさんは仏と同じであると私は敬意をもって呼び、ブログにもあえて愚妻と書いているのだ」
と、ホメ讃(たた)えたのである。
喜んでくれると思ったら、違った。
「ちょっと、私を仏さんにしないでよ!」
その愚妻は、いまごろ露天風呂につかって鼻歌でも歌っていることだろう。
「愚妻」とは、最大級のホメ言葉
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