愚妻の脊柱管狭窄症には大いに考えさせられている。
痛みと歩行困難でさえ、私は負担に難儀しているというのに、愚妻がボケてきて介護となるとエライことだ。
となると、いつまでも健康でいてもらうしかない。
さっそく昨夕、テレビで見た健康体操を厳命する。
爪先で立ち、踵(かかと)を上下する運動だ。
「200回!」
「腰が痛いのに、そんなのできるわけないでしょ」
「じゃ、150回!」
「無理」
「じゃ、100回!」
取りあえず10回になった。
愚妻は値切るのが得意なのだ。
海外旅行に行ったときも、ショップのネェちゃん相手に値切り、負けさせていた。
英語もしゃべれないのに、どうやって値切るのか。
「そんなの簡単。もっと負けてよ、と日本語で言えばいいのよ。表情で相手だってわかるわよ」
そんなものかと感心したことを、私は思い出していた。
10回でもやらないよりはいいだろうと思っていたら、今朝になって、
「ちょっと、腰と太股が痛いわよ。ヘンな運動をやらせたからでしょ」
「10回しかやっていないではないか」
「10回も100回も同じよ」
怒るときは元気になるのだ。
ひょっとして、怒りは「生命の根源」をつかさどっているのではないか。
そんな思いがよぎるのだ。