着物を箪笥から出して陰干しをし、風に当てた。
私がしたわけではない。
愚妻に命じただけだ。
むろん、愚妻は文句たらたらである。
「どうするのよ、着もしないのに!」
着物に凝っていた一時期、浅草から横浜まで古着屋をめぐって買い集めた。
「旦那、これ夏大島ですぜ。いまはもう織ってないから稀少価値がありますぜ。おっ、サイズもピッタシ!」
「よし、買った!」
あれから何年になるか。
「ちょっと、汗をかかないでよね。クリーニング代がバカ高なんだから」
愚妻が恐い顔をするので、夏大島は一度も袖を通していない。
当時は毎日ネットを検索し、出物を探した。
袷(あわせ)も上布も新品を何枚か手に入れた。
「ちょっと、これ! 仕付け糸がついたままじゃないの!」
買って一度も袖を通していないことを、愚妻は非難するのだ。
ならば、と食事のときに着ていこうとすると、
「ちょっと、あなたは絶対に汚すんだからダメ。クリーニング代がバカ高いんだから」
これではヤバくて着ることができないではないか。
だが残りの人生を考え、私はこれから積極的に着ると宣言。
ついては着物に風を通せと愚妻に命じた次第。
だが、異常の酷暑。
短パン、Tシャツでも汗ダラダラ。
愚妻がジロリと私をニラんで言う。
「この暑いのに、バカな年寄りが着物を着てうろうろし、熱中症で倒れたなんてことにならないでよね」
一理ある。
しょうがないから着物は涼しくなるまで待つとするか。
明日は法事と通夜。
法衣でも汗だく。
着物どころではあるまいと納得である。