愚妻の「日帰り温泉」が再開である。
回数券の期限が迫っているそうで、再開5日目で3回。
混雑する土、日はパスだから、昨日まで愚妻は毎日行っていることになる。
しかも、身体が馴れるまで入浴は2時間にしておくそうだから、8時前に送って行って10時前に迎えに行がなければならない。
時間が細切れになるため、私としては仕事をしていて落ち着かないのだが、8ヶ月ぶりの再開とあって文句を言うわけにはいかない。
不満を笑顔で隠し、私は送迎を続けている。
今日は午前中に愚妻の診察があり、病院までもちろん私が送迎。
日帰り温泉は休止だが、明日は行くと張り切っている。
診察では術後の経過は順調。
これから投薬による予防的な治療になるとかで、
「5年先、10年先を考えての投薬です」
主治医が言ったとき、私は思わずプッと吹き出し、
「5年先、10年先なんて、どうなっていることやら」
この一言が愚妻はお気に召さなかったようで、診察室を出てからプリプリ。
「ちょっと、5年先、10年先がどうなっているかわからないって、どういう意味よ」
鶴や亀じゃあるまいし、千年も万年も生きるつもりなのだろう。
惜しまれるのは早死にした場合だけで、長く生きれば生きるほど疎(うと)まれる。
世の中はそういうものなのだ。
そう考えると長寿は果たして善なのか。
愚妻のように、ノーテンキに長寿をハッピーとは考えられないと思った午前中である。