歳時記

何歳になっても勉強だ

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 今日は、うちの道場の正指導員であるT氏が温熱治療をしてくれた。
 頭の先から足まで、みっちり。
 T氏は職業は別だが、温熱療法のプロでもあるのだ。
 先夜は稽古の後で、指圧と整体治療院を経営する若手のT君が施術してくれた。
 ありがたいことだ。
 と同時に「手に技術」ということを痛感させられた。
 私には何もない。
 巧拙は別として、言葉や文章で人様を勇気づけたりなぐさめたりすることはできるが、どこまで役に立っているのやら、心もとないことである。
 昨夜、無事、ヤフーオークションで袴(はかま)を落札した。
 入札〆切の間際に急追されて冷や汗ものだったが、こんなくだらないことに時間を費やしている場合ではないと、反省しきり。
 だが、くだらないことをやってみて、そのことに気づいた。
 ということは、私にとって「くだらないこと」ではなかったということになる。
 このことは、ぜひ愚妻に教えておかねばなるまい。
「私は、まさに、くだらないことをやったおかげで、くだらないことに気づいた。素晴らしい気づきではないか」
 すると愚妻は、私を一瞥(いちべつ)して、
「六十歳をすぎて、まだ気づいていなかったの」
 人生、いくつになっても勉強ということが、愚妻にはわかっていないのだ。

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