連日、中央大理工学部教授の殺害事件が報じられている。
逮捕されたのが教え子ということから、なぜ凶行に至ったか、動機について世間の関心が高いからだろう。
私は「動機」には、さして関心がない。
人が人を殺すのだから、それが身勝手な理由であろうとも、動機はさまざまあるだろう。
この事件に限らず、動機は〝引き金〟であって、本質はもっと別なところにあると思うからである。
私が関心を持ったのは、容疑者の自宅から押収されたノートに、
「もっと人とコミュニケーションを取らなきゃ」
「消極的な自分を変えたい」
といった書き込みがあったということだ。
就職や転職で失敗を重ねた原因が、こうした自分の性格にあり、それが屈折して殺害動機に発展したのではないか、という報道もあるが、私が関心を持ったのはそういうことではなく、
「消極的な自分を変えたい」
という思いに対して、容疑者はどう対処したかということである。
コミュニケーションの悩みや、消極的な性格に対する悩みを抱いている人は少なくない。
だが、そういう人たちは、悩みの本質がどこにあるか考えたことがあるだろうか。
悩んでいる人は、必ずこう言うのだ。
「考えてるさ。だけど、どうやって自分を変えていいか、わからないんだ」
この言葉にウソはないだろうし、悩んでいることはよくわるかるが、これでは解決しない。
なぜなら大いなる勘違いをしているからだ。
性格は「変える」のではなく「変わる」ものなのだ。
「変えよう」と思うから、変わらないのだ。
たとえて言えば、背の低い人がそれを悩み、背を高くしようとしても不可能だ。
だが、背が低いことは人生とって決してマイナスでないと悟れば、背が低いという悩みは解消される。
性格を変えることも、それと同じだ。
「消極的な自分でいいのだ」
と、しかと気づくことによってコンプレックスは解消され、「積極的な人間」に変わっていくのである。
では、どうすればそれに気づくか。
手前ミソになるが、ヒントとして一例をあげれば、武道をやるのもいいだろう。
性格が、消極的だろうが積極的だろうが、一心に稽古し、汗を流しているうちに、精神的な意味で何かが確実に変わっていく。
空手を始めて、性格が明るくなる人はいても、暗くなる人はいない。
大人も子供もそうだ。
ここに「性格が変わるヒント」があるように、私は考えるのである。
自分の性格を「変える」ということ
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