私がお気に入りの名句に、
『春風接人 秋霜自粛』(しゅんぷうせつじん しゅうそうじしゅく)
というのがある。
「春風(はるかぜ)を以(もっ)て人に接し、秋霜(あきしも)を以てみずからを粛(つつし)む」
と読む。
読んで字のごとく、
「春風のなごやかさをもって人に応接し、秋霜の厳しさをもって自らを律する」
という意味だ。
江戸時代の儒学者として著名な佐藤一斎の言葉で、一斎の随想録『言志四録』にあり、同書は西郷隆盛の終生の愛読書と言われる。
さっそく愚妻にこの言葉を説き、紙に書きつけ、
「これからは、かくのごとき生きよ」
と諭(さと)したところが、
「ちょっと、あなたは真反対じゃないの!」
ムキになって異を唱え、
「あなたは『秋霜接人、春風自粛』でしょ」
バチ当たりなことを言うのだ。
ネコに小判なら、愚妻に諭しということになるだろう。
私は黙るばかりである。
コロナ禍で行われた東京五輪がキッカケで、子供たちに対する空手指導のポリシーを変えた。
メダルを取ることは努力の結果として称賛されるべきとしても、こだわり過ぎるメディアの加熱報道にはいささかうんざりした。
そんなこともあって、勝敗は二の次。
子供たちの空手指導は、勝敗を越えた「何か」を教えたいと思うのだ。
そのためには、子供たちのケツを叩くのではなく、『春風接人 秋霜自粛』で指導にあたらなくてはなるまい。
だが、私のそんな決意は、
「あなたは『秋霜接人、春風自粛』でしょ」
という愚妻の浅薄な一言で、グラついてしまった。
『寸鉄人を刺す』という。
言葉は恐いものだと、我ながらつくづく思うのである。