鳥取県の公立小学校には「学級委員長」がいないのだそうだ。
人権団体などから
「委員長になれなかった子供が傷つく」
「自分にはできないと劣等感が生まれる」
といった抗議があり、学校側が自粛した結果なのだそうである。
また同県では、「差別」の観点から、運動会の徒競走でも全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子供に対しては、コースをショートカットしたり、スタートラインを他の生徒より前にしたりする学校もあるのだそうだ。
人権団体様、よくぞ抗議してくれた、と私は拍手を送りたい。
学級委員長を決めないだけでなく、各家庭から給料を全額集め、全校生徒で割って収入を平等にしたらどうだろう。家庭によって収入に格差があれば、生徒が傷つくではないか。
それが無理なら、徒競走で便宜を図るように、寄付を募って収入の補填をしたらどうだろう。そうしないと、生徒に劣等感が生まれるではないか。
いやいや学校のみならず、これを社会的な運動に広げていただけないものか。東大を受験して落ちると子供が傷つくので、大学入試はナシにしたらどうだろう。
課長だ、部長だと会社に職制があると、出世できなかった社員は劣等感が生まれるので全廃したらどうか。
もちろん給料も全員同額である。
いや、入社試験そのものが〝差別〟だから、これを全廃すべきだろう。
総理大臣だって、なれない議員は傷つくだろうからナシにしたらいい。
オリンピックも東京に招致が決まったら、全員が同時にゴールできるようにスタートラインに工夫も必要だろう。
重量挙げは、全員が挙げられるよう風船にする。
バレーボールなど得点競技は、カウント全廃。
スポーツも人生も、〝努力が報(むく)われる〟としたら、これほどの〝差別〟はあるまい。
「平等とは、結果において平等なのではなく、機会において平等であることを言う」
なんて思っていた私は、ただただ不明を恥じるばかりである。
努力の報われない国、ニッポン!
それをリードするのが、まさに鳥取県なのである。
努力の報われない国、ニッポン!
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