森喜朗氏の一件を持ち出すまでもなく、それまで許容されてきたはずの軽口が世界中から批判された。
男女間に差別があってはならない。
そのとおりだ。
「男らしさ」「女らしさ」は禁句になる。
「おじいさんは山に柴刈りに行って、おばあさんは川でお洗濯」という固定観念は否定される。
王子様がお姫様を救出するという「おとぎ話」も成立しまい。
「弱き者、汝の名は女なり」
とはシェークスピアの『ハムレット』のよく知られた一節だが、名作も男女差別の悪書として遠からず発禁になるだろう。
いま、劇的なパラダイムシフトが起こり、物書きにとって難しい時代になった。
女性を蔑視する意識は毛頭なくても、表出した言葉や文字で非難される。
これは女性蔑視に限らないが、「逆説」が通じない世の中になったということでもある。
「おまえは何と愚かな女なのだ!」
私が愚妻に浴びせかける言葉は、「よくやってくれている」という逆説であっても、女房蔑視でアウトになってしまう。
自己犠牲の生き方をする人に対して、
「あんたはバカだ」
という言葉は、称賛の逆説であっても、真意を伝えられなければアウト。
反対に、「男女平等」と声高に叫べば、内心は女性蔑視していても素晴らしい人と言われる。
内面は形に現れるものと思っていたが、時代の過渡期においてはそうではないということか。
建前社会はますます進行していく。
「本音でもの言う」ということが称賛されたのは、ついこの間のことではなかったか。
国会での虚偽答弁が横行するはずである。