歳時記

大事の思案は軽く

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非常事態宣言が再延長されるとか。
2月に1ヶ月延長されたとき、3月頭の遠出は無理と判断して中旬に変更した。

ところが、どうだ。
再延長ときた。
中旬も無理になってしまったではないか。

ガースー総理は3月7日の解除にこだわっていたから、意地でも解除するものと思っていたが、何のことはない。
判断に迷った末の腰砕けである。
しょうもない総理だ。

判断に迷うのは「正解」を求めるからだ。
明日のことなんか、誰にもわからない。
わからないものをわかろうとして迷うのは愚かなことである。

熟慮とは関係がない。

極論すれば、判断なんてものは当てずっぽでいいのだ。
直感なんて言えば聞こえがいいが、要は当てずっぽのことなのだ。

かの『葉隠』にいわく。
「大事の思案は軽く、小事の思案は重く」

本来の意味は、
「大事のことは普段から考えておけば、いざというとき簡単に断が下せる」
ということだが、私はこれを、
「大事のことは判断が難しく過ぎるため、いくら考えても無意味」
と読み解く。

つまり当てずっぽ。

「緊急事態宣言の再々延長ってことはないかしら」
愚妻がニュースを見ながら私に問う。
「ない」

「オリンピックは開催できるのかしら?」
「無理だ」

言下に言い切り、「明日、日帰り温泉はどうするの?」と、些細なことを問われたら、
「ウーム」
難しい顔して考えて見せる。

「小事の思案」を重くすることによって、「大事の思案」は軽くしても当てずっぽには思われない。

処世術の一つである。

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