実は、今日も墓前のお勤めだった。
最高に暑かった。
私は格好にこだわるので、夏は夏用の茶人帽を被る。
ところが、お勤めが始まるまで被っていたら、汗を吸って重くなっていた。
剃髪は、汗が頭皮から吹き出すのである。
明朝は日帰り温泉に行こう。
かつて、「楽しみ度」は「距離」に比例した。
九十九里で泳ぐより、ワイキキの海岸のほうが楽しい。
近所のスタバより、パリのカフェである。
駅前のマックよりラスベガス。
だが、最近は「楽しみ度」は「距離」に反比例するようになってきた。
ワイキキも九十九里も、海にかわりはない。
マックはどこで食べてもマックなのだ。
温泉もしかり。
わざわざ遠くへ行くよりも、近所の日帰り温泉のほうが楽しいのだ。
年間予定を立てるので、秋口は遠方の温泉を数日予約はしているだが、愚妻も私もイマイチ乗り気でない。
「本当に行くの?」
「おまえは?」
「どっちでもいいわ」
そんな会話になっている。
加齢のせいなのか、コロナで遠方に出かける気になれないのか。
たぶん両方だろう。
よくはわからないが、「楽しみ度」が「距離」に比例するという遊び方は、価値観の転倒で、何となく時代遅れになりつつあるように私は感じるのである。
お盆は「盂蘭盆(うらぼん)」のことで、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写。
意味は「倒懸(とうけん)」であり、倒懸とは「逆さま」ということ。
私たちは逆さまになって生きているということを、経典『盂蘭盆経』は、目連尊者とその母を引いて教える。
そんな話しを法話でするせいか、「倒懸」ということが気になっている。
言葉を変えれば「価値観が倒懸するの時代」の到来ということになるだろうか。
「老いる」は、これから美徳になる。
「生き方本」を書くつもりでいるが、面白い時代になりそうである。