昨日は友人から、
「マスクは足りているか?」
という電話をもらった。
愚妻は第2波、第3波に備えて万全の体制を取っている。
買うだけでなく、ヒマにまかせてマスクを手作りしているので、ミシンが居間に出しっ放しになっている。
市販マスクにあきたので、私のマスクをつくるよう命じると、嬉々として作業を開始した。
人間は、頼りにされることで存在意義を自覚するということが、実によくわかる。
私が何事か命じると必ずブーブー言うが、ブーブーの一語一語に、愚妻は我が身の存在意義を確認しているのだろうと、これは私の勝手な推測。
で、マスクが完成した。
気に入らない。
上下の寸法が短く、
「これでは、アベのマスクではないか」
クレームをつけ、つくり直させる。
今度はデカい。
「アベのマスクの反対で、〝ベアのマスク〟になっておる」
再び、つくり直させる。
そして再々のクレームにおよんで、ついに愚妻がブチ切れた。
「なによ、マスクくらいで!」
存在意義を確認させるのも、ほどほどにしなければ修羅場になるのだ。