愚妻が連日、自宅を片付けている。
昨夜、居間に寝転がってテレビニュースを見ていて、
(部屋の雰囲気が何かヘンだな)
と思ったら、家具が入れ替っていた。
「おっ、入れ替えたのか!」
「なに言ってるの、一昨日から入れ替わってるわよ」
知らなかった。
そういうことに、私はまったく関心がないのだ。
今日も、家の片付けは継続中。
天気なので、衣装部屋(と言うのかどうか知らないが)、2階の6畳間を整理するので衣類の取捨選択をせよと、先程、愚妻から厳しく命じられた。
もともとテレワークなので、着る機会がないにもかかわらず、これまで衣服には凝った。
ワイシャツの糊付けや、袖まわりのプレスが気にいらず、クリーニングは何軒も変え、愚妻はクルマを運転して隣の市まで行っていた。
書籍は何千冊あったのか知らないが、何年もかけて業者にスキャンに出して整理し、ほぼファイル化が終わっている。
衣類はスキャンするわけにはいかない。
本のファイル化整理は「これからも仕事で使用する」というのが前提だが、衣類のそれは「もう着ない」が前提。
だから、終活気分が漂う。
衣類の整理がなかなか進まないのは、たぶん、そんな思いが意識下にあるのではないかと、このブログをここまで書いてきて、ふと思うのである。