日本茶を送ってくださる友人がいるので、お気に入りの湯呑みを買ってきて楽しんでいる。
その湯呑みが、キッチンのテーブルに置いてあったので、ふと飲みたくなり、
「おい、茶をもて」
私が命じると、
「湯呑み、割れてるのよ」
愚妻が言う。
洗っていて、割れたのだと人ごとみたいに言うので、
「バカ者。洗うときは細心の注意を払うのだ。わしなんか、絶対に割らん」
叱責すると、キッと居直って、
「あなたが割るはずないでしょう。洗い物なんかしたことがないんだから」
揚げ足を取って、自己正当化を図るのである。
たしかに、洗い物をしなければ食器を割ることはない。
これはひょっとして、
『キジも鳴かずば撃たれまい』
ということわざに通じるのではないか。
たとえば、
『洗い物もしなければ割れはしまい』
さらに、
『人生、余計なことをしなければ後悔はあるまい』
ということにもつながっていく。
私が無言でめまぐるしく頭を回転させていると、
「ちょっと、なに考えているのよ」
愚妻がジロリと私の顔をのぞき込むので、言ってやった。
「おまえにはわかるまいが、わしは今、湯呑みの割れたるを見て、忽然と人生の真理を会得したり」
「バカなこと言ってないで、さっさと仕事しなさいよ。溜まっているんでしょ」
愛用の湯呑みを割っておいて反省もお詫びもなく、この年の瀬に私のケツを叩くのである。