昨日は午後から打ち合わせがあって、銀座へ出かけた。
駅からぶらぶら歩いていると、銀座のど真ん中である四丁目を、僧侶が托鉢しながらゆっくりと歩いていた。
銀座を托鉢する僧侶は時折、見かける。
いつもは気に止めることもないのだが、昨日は、
(なぜ銀座なんだ?)
という思いがかすめた。
人通りが多ければ、それだけ喜捨の可能性は高くなるが、もしそうした発想であるとしたら、それはビジネス的発想で、修行としてはどうなんだろう。
さりとて、人のいない曠野を托鉢したのではもちろん意味がない。
だけど、銀座の托鉢については、
(なんだかなァ)
という思いがある。
ノホホンと暮らす私が言うのも失礼だが、気になった銀座の午後であった。