歳時記

我が誕生日に抱く感慨は……。

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 今日は、私の誕生日だ。
 57歳になった。
「だからどうした」
 と、突っ込まれれば返答に詰まるが、ただ一つ言えるのは、歳をとるのが嬉しいということだ。
 理由は、加齢と共に、これまでのように頑張らなくてすむからだ。
 肩肘張って生きていくこともないからだ。
 こう言うと、知人の中でもやさしい人は、
「これまで頑張ってきたからだね」
 と頷いてくれるのだが、口の悪い連中になると、
「頑張らなくてすむ? 頑張ってきたみたいなこと言うじゃないか」
 バッサリと一刀両断である。
 ま、頑張ってきたかどうかはともかく、歳をとるというのは、次第に肩の荷が降りていくような感覚がある。
 そして、その感覚から半生を振り返ってみると、
(人生、たいしたことないな)
 という感慨を抱く。
 楽しいことも、つらいことも、焦燥も、満足も、結局、「一瞬の光陰」であるということが、実感をもってわかってくるのだ。
 ひらたく言えば、
「人生、たいしたことないな」
 という思いである。
 そんな目で、道場の子供たちや、私が担当する保護観察処分の若者たちを見ると、
(たいしたことない人生だからこそ、思い切り生きるんだよ)
 と言ってやりたくなる。
 勉強して一流校を目指すのもいいし、カネを稼ぐのもいい。出世競争にあくせくするのもいい。
 何だっていいのだ。
 そして、人生の幸不幸とは、走って、走って、走った先に何をつかみ取るか、「走ったあとの感慨」を言うのだろう。
 私は57歳まで走ってきて抱く感慨は、「千畳敷に寝ても一畳」である。

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