歳時記

築地本願寺で帰敬式

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 昨日、築地本願寺で、親父と女房が帰敬式(ききょうしき)を受けてきた。
 帰敬式とは、浄土真宗で行われるもので、仏弟子となるための儀式だ。得度(僧侶になる)とは違うが、法名(他宗派の戒名にあたる)が授与される。
 私も二人について築地本願寺に行った。
 帰敬式は本堂で厳かに始まったが、一般席に座っていた私は、あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ。僧侶たちの袈裟の着こなし、念珠の持ち方、合掌の仕方……等々、いい機会とばかり参考に見ていたからである。
 法話もしかり。
 話の内容より、講師の話し方――目線、声のトーン、身振り、間の取り方など、〝本題〟と関係のないことばかり考えていた。
(オレは〝駆け出し坊主〟なんだから、それもしょうがねぇよな)
 と苦笑したが、ふとこれと同様のことをしている自分に気がついた。
 書籍である。
 小説にしろハウツー本にしろ、読んでいると、内容を楽しむよりも「書き方」のほうが気になってくるのだ。
(ウーム、伏線の張り方が見事だ)
(このセリフ、うまい!)
(アホなこと書いとるな)
「書き方」について、感心したり貶(けな)したりで、ちっとも内容を味わうことができない。
 だから本を読むと疲れるので、資料本のほかは、まず読むことがない。
 だが、考えてみれば、築地本願寺でキョロキョロしていた自分と同じではないか?  つまり、物書きとして未熟だから、内容よりも「書き方」に関心が行くのではないか?
(そんなことじゃいかん!)
 と、自分を叱責しつつ、
(きっと親鸞聖人が、そのことを気づかせてくださり、もっといいものを書けと励ましてくださったに違いない)
 と、自分に都合よく解釈しながら、築地本願寺をあとにした次第。
 余談ながら、今朝、例によって親父と女房と私と三人で畑に行ったが、法名を授かったことで、親父も女房も表情が晴れ晴れとしている。死ねば法名(他宗派では戒名)がつくが、生前にその「ゴール」を見据えたせいだろう。
 帰敬式の功徳である。
 
 

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