昨日は、ボランティア読経に出かけた。
地域包括センターの友人がクルマで送迎してくれた。
包括センターの人たちは、本当によくやっている。
つくづく頭が下がる。
それにくらべて坊主はどうだ。
「法を説く」とか「お取り次ぎ」と言えば聞こえがいいが、要するに能書きばかりではないか。
最近は我が身を振り返って、いささか自嘲気味。
坊主の社会的役割は何なのか。
ボランティア読経を通じて真剣に考えさせられるのである。
今日は、某出版社の社長と昼メシをご一緒した。
70歳を過ぎて意気軒昂である。
いいことも悪いことも、何が起ころうとも、
「それがどうした」
と思うようになったとおっしゃる。
「達観ですか」
と問うと、
「いや、あきらめだ」
即座に否定して、
「達観とあきらめは似て非なるものだ」
呵々大笑である。
「笑い飛ばす」
という言葉が、このとき脳裏をかすめる。
そう、何事も笑い飛ばすのだ。
生も死も、好きも嫌いも、そして不満だって。
笑い飛ばす
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