今夜は埼玉県の大宮支部へ空手の指導に出かける。
先般の秩父合宿で、支部長の体調がよくないと聞いて、
「じゃ、行こう」
と決めたのである。
ものぐさな私は、支部へはめったに行かないのだが、ものの弾みで、
「じゃ、行こう」
ということが、ごくたまにあるのだ。
空手に限らず、私の人生は、たいてい「ものの弾み」で動いている。
「大事の思案は軽くすべし。小事の思案は重くすべし」
とは『葉隠』の一節だが、私は「大事」も「小事」も思案することなく、軽いノリでやってしまう。
そんな私を、愚妻は「軽はずみな人間」と言う。
そうかもしれない。
だが、思案とは、
「不確定な未来に対して、自分の都合をもとに、あれこれ考える」
ということに過ぎない。
だから、迷いが生じる。
決断できず、グズクズする。
私は「グズグス」が大嫌いなのだ。
したがって、
「じゃ、行こう」
「じゃ、やろう」
「じゃ、やめた」
何事も即決となる。
当然ながら、後悔することも少なくない。
だが、思案して決断しても、後悔は常について回る。
だったら、グズグズと迷うことはないのだ。
「大事の思案は軽くすべし。小事の思案は、もっと軽くすべし」
グスグズと思案なんかしていないで、さっさと腰を上げて歩き出せばいいのだ。
思案するより歩き出せ
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