例の、河口湖の「ローソン」。
黒い幕が設置されたというニュースが終日、テレビで流れている。
オーバーツーリズムとやらである。
「ああまでして、日本に来てもらわなくちゃならないのかしらねぇ」
愚妻がニースを見ながら嘆息する。
これには私も大賛成で、
「鎖国だ! 鎖国すべし! 江戸時代にもどるべし!」
連呼すると、
「それって、言いすぎじゃないの」
愚妻は妙なところでバランスを取る。
ここが私と決定的にちがうところで、私はイチかバチか。
針はつねにゼロか百のどちらかを指している。
だが、愚妻は極端に見えながら、じつは中庸なのだ。
だから、誤魔化したりウソをつくのは苦手。
ホメているのではない。
対応能力に欠けているということ。
つまり愚妻は「基本人間」で、私は「応用人間」ということになるだろう。
「基本人間」は、「物事はかくあるべし」という、まさに根底に物差しのような基本的な考えがあるので、どうしても批判が多くなる。
反対に「応用人間」は、ハナから基本というものがない。
物差しがないのだ。
水が方円の器にしたがうように、その時々に対応する。
それが愚妻には、チャランポランな処し方に見えるらしい。
誤解なのだ。
「現状に対応しているだけなのだ」
と、諄々(じゅんじゅん)に説いても聞く耳はもたず。
かくして、
「もう、あなたはいい加減なんだから!」
河口湖の黒い幕を引き金として、論戦テーマは縦横無尽に広がり、愚妻の非難は延々につづくことになるのだ。