空手・古武道の指導をやめてから丸1年が経った。
会の運営にもノータッチである。
早いものだ。
一周忌の法事に出仕したとき、ご遺族に気持ちを問うと、
「1年なんて、あっと言う間ですね」
どなたもそうおっしゃるが、その気持ちがよくわかる。
いや、1年どころか、日々の過ぎ去ること矢の如しである。
今日の午後のこと。
自室で原稿を書いていると、
「ちょっと、昇空館にいたK君が、あなたを訪ねてみえてるわよ」
愚妻がバタバタと2階に上がってきて言う。
一瞬、Kが誰なのか思い出せず、とまどっていると、
「あなたに食べてもらいたいものがあるので、持ってきたんですって」
そんなことを言われたのでは余計、頭がこんがらがるではないか。
で、急いで玄関に降りていって顔を見て、
「おう!」
驚いた。
6年ほど前まで稽古に来ていた発達障害のある青年で、当時は十代半ばだった。
空手の稽古が少しでも自立の役に立てばと、私なりに手を掛け、指導法を工夫したものだ。
こうした子供が何人かいると時間をとられ、稽古の負担になるのだが、親御さんにしてみれば、武道が自立の役に立つのではないかという思いがある。
実際、どれだけ役に立つかはともかく、親御さんの思いに応えたく、私の道場はどんな子供でも入会を断ったことはない。
K君もそんなひとりである。
まず、姿勢を直すことから始まり、返事や声の出し方など、いかにすれば自分に自信を持てようになるかを主眼に指導した。
私の目からもずいぶんしっかりしてきたが、やがてK君は授産施設で働くことになり、仕事に加えての稽古は精神的な負担が大きいというお母さんの判断で退会した。
早いもので、それから6年である。
訪ねて来たK君はずいぶんしっかりしていた。
私に食べてもらいたいというのは、自分が施設でつくった蕎麦や菓子類だった。
K君と話をしながら、6年前を振り返りつつ、このスピードで人生は過ぎて行くのだということを改めて思った。
いまから6年が経てば、私は79歳。
傘寿である。
人生は「どう終える」かより、晩年を「どう過ごすか」が大事なのだ。
仏教を通して、多少とも人生というものが見える年齢になった。
「自灯明、法灯明」とはお釈迦さんの遺言だが、このころその意味が附に落ちてわかるような気がするのだ。