先日の「クルマのキィー紛失騒動」があってから、愚妻の私を見る目が変わってきた。
黙っていればよかったのたが、深く考えもせず、「今日の出来事」として話したのだ。
すると、ジロリと私の顔をのぞき込んで、
「ちょっと、大丈夫?」
ボケの兆候ではないかと疑い始めたのである。
医者に行くのに診察券を忘れて家に取りに帰ると、ジロリと私の顔を見て、
「ちょっと、大丈夫?」
健康のためと思い立ち、夜、居間で両手を広げて片足立ちを始めると、
「ちょっと、大丈夫?」
朝一のご葬儀に行くのに、二階の自室で「アー、アー」と発声をしていると、愚妻が階段を大急ぎで上がってきて、
「ちょっと、大丈夫?」
どれもこれも、これまでと同じ生活であるにもかかわらず、疑ってかかれば、ボケの兆候に見えるということか。
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』
という言葉があるが、人間は「心のフィルター」を通して対象を見ているということがよくわかる。
いい機会なので、そのことを愚妻に説いたのだが耳を貸さず、無言で私の顔をのぞき込む。
キィーの紛失以後、我が家は疑心暗鬼のせめぎ合いが続いているのだ