歳時記

「常識」と「個人の価値観」

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WBCでサムライ・ジャパンが大活躍。
連日、大谷翔平フィーバーである。

野球など無関心の愚妻が観戦しているのだから、メディアのフィーバー、恐るべし。

もっとも、愚妻は大谷翔平と佐々木朗希のツーショット写真を見て、

「あら、佐々木ってコ、背が高いのねぇ。何を食べたらあんなに大きくなるのかしら」

そういう関心の持ち方もあるのかと、私は感心した次第。

価値観の多様化で、たとえ野球の本質論から外れていようと、

「これも野球の楽しみ方の一つ」

と言えば、それで通る時代になった。

もっと言えば、常識という価値観が通用しなくなったということでもある。

葬儀に出仕したとき、お布施を銀行の封筒に入れて差し出した年配の男性喪主がいた。

私は黙って受け取ったが、「非常識」という私の考え方に正当性があるのかどうか考えさせられた。

あるいは会葬者がみんな喪服なのに、喪主を務めた若い娘さんだけがジーンズにジャンパーで現れたことがあった。

「着替えるのでしたら」

私が言いかけるのをさえぎって、

「いいの。私、ラフな格好が好きだから」

いまや「個人の価値観」が「常識」に優先する時代となり、「常識」を持ち出そうものなら、
「古い」
という一語で一刀両断である。

だが、そういう時代だからこそ、社会常識や人とのつき合い方に気を配る若者は、年配者に可愛がられるだろう。

大谷翔平や佐々木朗希の人気は若者らしい清々しさにあり、年長者であるダルビッシュ有の評価はチームメイトの人望にある。

将棋の藤井聡太もしかり。

結局、人間社会に問われるのは「人間性」ではないかと改めて考えるのである。

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