肩甲骨の痛みがやわらいできた。
こうしてパソコンを打っていると痛みが出てくるが、そうでなければ大丈夫になってきた。
「かなり良くなりましたね」
今朝、診察に行くと、私の首を動かしながら医者が言った。
だが、これは「治療」の結果ではなく、痛みを抑えているうちに良くなったわけで、根本的解決にはなっていない。
頸椎症をネットで調べると「自然治癒を待つ」といったことが書いてある。
つまり、いつ痛みがブリ返すかわからないということで、爆弾を抱えているようなものということか。
それでも、痛みが治まれば、愚妻の非難からは救われる。
背後で、私の肩や肩甲骨に鎮痛の湿布を貼りながら、
「困ったものねぇ、勝手に痛くなって」
そんなことを言う。
「バカ者、勝手ではない。積年の無理がたたったのだ」
たしなめると、
「無理なんかしてないじゃないの」
そして、
「遊んでばかりで、好き勝手に生きてきて、どこが積年の無理なのよ」
イヤなことを言うのだ。
私が寝たきり老人になったら、どうなるのだろう。
「困ったものねぇ、勝手に寝たきりになって」
きっとそう言うに違いない。
病(やまい)は自分の意志と関わりなく襲ってくる。
いくら健康に留意していても、こればかりはどうにもならない。
となると、愚妻とのコミュニケーションは大きな意味を持ってくるのではないか。
そろそろ夫婦のあり方を見直す時期に来ているのかもしれない。
そう考えると、頸椎症はそうした警鐘を私に鳴らしくれているということになるだろう。
ものごとはすべて受け取り用で、病にさえ気づきがあるのだ。
だが、そうは思いつつも、凡夫の悲しさ。
意地が邪魔して、愚妻にいまさらシッポなど振れるわけがない。
我れは我りなり。
我が道を行く。
ワガママに、好き勝手に、そして悔いを残さず。
男はこうでなくてはならない。
「困ったものねぇ、勝手に寝たきりになって」
何と言われることになろうとも、我が道を行くのだ。