昨夜の地震で叩き起こされた。
揺れと同時に目は覚めてはいたのだが、ハッキリと覚醒したのは愚妻の叱責によってである。
「ちょっと、地震よ!」
私の部屋に飛びこんできて怒鳴った。
「部屋に入るときはノックして」
「バカなこと言ってないの!」
このところノックの回数について夫婦で論議しているので、つい口をついて出た次第。
強い揺れだったが、大変なのは納まってからの愚妻の講釈である。
「あなたが背負って逃げるリュックはこれよ。わかってるわね? で、食糧はここ、携帯トイレはここ、それから携帯コンロはここ、医薬品はこの袋で・・・・」
まくし立ててから、
「あっ、ヘルメットを買うの忘れていた」
反省もするのである。
愚妻の講釈を聞いていると、スースーと部屋に風が入ってる。
「寒いな」
「窓を開けたのよ。家が潰れて外に出られなくなると大変だから」
得意顔で言うのだ。
備えあれば憂いなしとは言うけれど、備えがあっても私はそれがうまく使えるだろうか。
計画と実行が同じでないのと同様、備えもまた安全を担保するものではないことを、私は昨夜の地震で実感したのである。