歳時記

「毎日が日曜日」の意味

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今朝も雨。
梅雨明けが延びると聞いて、
(あっ、いま梅雨なんだ)
改めて気づき、カレンダーを見て、7月中旬であることに、これまた改めて気づいた。

そういえば、今日は土曜日。
すっかり曜日の観念も希薄になった。

コロナ禍で道場がずっと休みなので、曜日にメリハリがなくなったからだろう。

定年後の日々をたとえて「毎日が日曜日」と言うが、これは、
「毎日、することがない」
というよりは、「毎日が同じ」であるため、曜日の感覚がなくなるということだろうと納得した。

週刊誌記者時代は毎週水曜が〆切だったので、編集部で原稿を書き、深夜に書き上げるとそれから飲みに行った。
これが毎週のことなので、常に水曜日を基準に考え、生活する。

道場は水、金、土曜なので、これを基準に考え、生活する。

ところが、それがなくなり、一気に曜日の感覚がなくなったのである。

人間の身体にヘソがあるのと同様、生活にもヘソが必要なのだと痛感する。

いや生活だけでなく、人生や人生観にもヘソがなければ、
「あれ? 今日は何曜日だっけ?」
ということになるのだろう。

これまで意識しなかったが、いまヘソとなっているのが早朝の日帰り温泉である。
それも、毎日は疲れるので水曜日を中休みとし、土、日は混むので休みとすることで、「休み」がヘソの役目を果たすようになったきたようだ。

メリハリを自分でどうつけていくか。
これはとても大事なことだと認識を新たにしている。

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