歳時記

「我は我なり」の精神

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災害関連のテレビ番組を観ていると、
「避難経路など、普段から災害に備えよ」
という論調や主張が目立つ。

裏返せば、
「自分の身は自分で守れ」
と言っているのだ。

もっと言えば、
「政府や自治体はそこまで守れません」
ということ。

さらに言えば、「政府や自治体は頼りにならず」ということでもある。

新型コロナもそうだ。
咳エチケットや自粛、ソーシャルディスタンスは、
「社会のため、相手のため」
というように聞こえるが、その本質は、
「自分の身は自分で守りなさい」
と言っているのだ。

その背景は、
「政府や自治体はそこまで守れません」
「政府や自治体は頼りにならず」
ということで、災害対処と同じ意識構造。

太古の時代、人間は自分の身は自分で守った。
集団生活が進展し、自治が確立されるにしたがって「個々の安全」は集団が守るようになった。

ところが、いまは「集団では守れないので、個々が自分で守って下さい」と「先祖返り」である。

すなわち、いつも言うように、歴史や人間の営みは、時計の振り子のように行ったり来たりしているということ。

テレワークも、これが進展すれば、
「やっぱり顔を合わさなければ真意は伝わらない」
という声が出てきて、元にもどっていく。

そして、元にもどっていくと、
「やっぱり不便だねえ」
ということで、またぞろ働き方改革が顔を出す。

技術的なことやツールは便利に変わっていっても、その本質は決して変わらないのである。

つまり、ここから導き出される結論は、
「世相に一喜一憂するなかれ」
ということ。

一喜一憂とは、時計の振り子を追いかけることであり、こういう生き方を文字どおり「世間に振りまわされる」と言うのだ。

「我は我なり。文句あるか」
この精神が大事なのだ。

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