歳時記

「身から出た錆」を考える

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辞任した黒川弘務東京高検検事長が、
「身から出た錆(さび)だ」
と周囲に漏らしたとか。

『身から出た錆』の意味は、国語辞典によれば、
「(刀の錆は刀身から生じるところから)自分の犯した悪行の結果として自分自身が苦しむこと。自業自得」
とある。

となれば、黒川氏が示唆する「自分の犯した悪行」の「自分」とは誰を指すのか。

さっと読めば黒川自身のようであり、深読みすれば安部総理ということになるのだろう。

どっちにせよ、黒川氏の言葉から、『身から出た錆』について考えさせられた。

錆は勝手に出てくるようなイメージを持つが、そうではなく、金属の表面が空気や水に触れることで生じる酸化化合物なのだ。

つまり、空気や水に触れなければ、錆は生じないのである。

私たちに即して言えば、錆を生じさせる「空気」や「水」は、「欲」である。
欲が結果として、我が身から錆を生じさせ、錆によって我が身を滅ぼすということになる。

そこで、なるほど、お釈迦さんの少欲知足とはこういうことなのか、と合点し、
(これは法話で使えるのではないか)
と思ったところで、「まてよ」という疑念がよぎる。

「錆を生じさせないようにするために、欲はほどほどにすべし」
という考えそのものが、「欲」ではないのか。

もっと言えば、煩悩を滅して悟りを開きたいとする、その発心そのものが最大の煩悩ではないか。

これから原稿を書こうという朝の貴重な時間であるにもかかわらず、腕組みをして考えるのである。

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