コロナ禍以後、週一で書道の練習を始めた。
その昔、書道を習っていたことがあり、そのことをふと思い出したのである。
何年か通って3段まで取得したが、家で臨書し、添削のために書道教室へ持って行くのが愚妻の役目。
そのころ私はモーレツに忙しく、書道教室へ顔を出す時間もなかったのだ。
「添削してもらうのに、本人が行かなくてどうするのよ」
愚妻はブツブツ言っていたが、
「おまえが先生の言うことをよく聞いてきて、そのまま告げれば、わしは即座に理解できるのだ」
そう言って毎回、行かせていた。
それが縁で愚妻も習い始め、引き替えに私が辞めて3段止まり。
愚妻はいつしか準師範になっていた。
そんなわけで、私はフツーの字は目を覆うほどヘタだが、「いかにも書道」といった字は得意なのだ。
「あなたはごまかすのがうまいから」
と愚妻は憎まれ口を叩くが、これは嫉妬だろう思っている。
週一の書道だが、いまさら基本を練習する気もない。
気に入った字や言葉を、書きたいように書いている。
昨日、書き終わってふと気づいたのだが、筆を洗ったり半紙を片づけたりすることが苦ではないのだ。
むしろ楽しくなっている。
これには、私も驚きつつ、
(人生の本当の楽しみは、ひょっとしてこうした〝枝葉の部分〟にあるのではないか)
と思った。
今朝のウォーキングもそうだが、庭に咲く大輪の花よりも、道ばたの草花のほうが見ていて実に楽しいのである。
「王道に背を向け、脇道を行く」
これからの人生の新たな指針である。