歳時記

コロナ禍とストレス

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『雪後(せつご)始(はじ)めて知(し)る松柏(しょうはく)の(操みさお)
事(こと)難(かた)くして方(まさ)に見みる丈夫(じょうぶ)の心』

私のお気に入りの禅語だ。

松は風雪に耐えて緑の葉を茂らせることから、逆境に於いてこそ、男の真価が問われるといった意味である。

新型コロナの外出自粛によるストレスを、テレビのニュースでやっていた。

ちょっとやそっと家に籠もったからといって、何がストレスなのか。

こういうときこそ松のごとく毅然と処するか、呵々大笑するか、あるいは柳に風と受け流して飄々と過ごすべきなのである。

私は「ストレス」という言葉が好きではない。

なぜなら、渾身の努力をする人間にストレスはない。
死に直面した人間にストレスはない。
ストレスを口にするのは余裕がある証拠なのである。

新型コロナのストレス報道をテレビで観ながら、プリプリ怒っていると、
「ストレスが溜まらないのは、あなたくらいのもんじゃない」
愚妻が余計なことを言う。

「バカ者、わしは必死で生きておるから、ストレスが溜まるヒマがないのだ」
「あなたの必死は、ワガママのことじゃないの」
外出自粛で話し相手がいないものだから、私に突っかかるのである。

愚かな女にはわかるまいが、ワガママに生きるというのは、世間体という激流に逆らい、川上に向かって泳ぐようなものなのだ。

これが必死でなくて何であろう。

風雪に耐える松も、激流を遡(さかのぼ)る私も、その精神は同じだと、「ストレス」の報道を観ながら勝手にうなずくのである。

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