歳時記

釣りに行きたい

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この夏前から無性に釣りに行きたくなった。
のんびりとボート釣りである。

その昔、房総の富浦海岸によく行っていたが、得度してからは無益な殺生ということで釣りはやめた。
それでも孫が小さいうちに釣りの体験をさせてやりたいと思い、2度ほど富浦海岸に連れて行った。

あれから4年ほどになるか。

無益な殺生と承知しつつ、生臭坊主としては釣りボートで一人、のんびりと波に揺られたくなったのである。

で、6月中旬。
海開きを前にして、
「おい、釣りに行ってくるぞ」

愚妻に言ったら、
「ちょっと、鼻の頭を赤く日焼けさせてご葬儀のお勤めをするの? ご遺族は何と思うかしらねぇ」

言われてみればもっともである。
悲しみにくれているときに、日焼けした坊主がのこのこやって来たのでは、
「なんだかなァ」
という気持ちになるだろう。

ここは愚妻の意見を取り入れ、釣りは中止した次第。

そして、9月である。
もう釣りに行ってもいいだろう。

手帳とニラめっこしていたら、
「ヒマそうね」
愚妻が言う。

「バカ者、超忙しいのだ」
「じゃ、釣りどころじゃないんじゃないの?」

論理としては合っている。
だが、人間は感情の生き物なのだ。
論理的に正しいことが、処し方として正しいとは限らない。
今朝、日帰り温泉の露天風呂で、「感情と論理」について考えたところである。

そして、「これに阿弥陀如来と念仏の話しをくっつければ法話になるのではないか」と唐突にひらめく。

のんびり湯船に浸かっていればいいものを、勝手にひらめきのほうから飛び込んでくるのだ。

葬儀のお勤めも、当道場の合宿も目前に控えている。
人間、なかなかノンビリできないもののようである。

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