歳時記

人生、物見遊山

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新聞の宅配をやめて何年になるだろうか。
かつては某全国紙の販売部と組んで、某県に配布するフリーペーパーの編集をしていたことがある。

そのころは、地域の販売店所長たちと定期的な会合を持ち、どうすれば部数拡張につながるか知恵を出し合ったものだ。

今は昔である。

週刊誌記者時代は、せっせと新聞のスクラップブックをつくっていたことを思えば、ネット記事がそのまま保存できる現代は、誠に便利になったものだ。

だが、いま振り返ってみるに、時間を費やしてスクラップにしていくという作業と努力こそ、モチベーションを継続する原動力になっていたように思う。
「非効率は」、実はとても大事なことなのかもしれない。

江戸の人々の人生観は「人生一生、物見遊山(ものみゆさん)」だと言われる。
生まれてきたのは、この世をあちこち寄り道しながら見物するためだと考え、日々を楽しく暮らそうとした。

つまり、ゴールのない生き方。

だが、ビジネスはそうはいかない。

ならば、ビジネス街道は飛脚となってひた走り、人生街道はノロノロと物見遊山ということか。

そんなこんなで、今日の午後は房総・里山の古民家料理屋に行くことにした。
忙しくはあるが、物見遊山の精神である。

だが。
愚妻はいつものように銚子2本を飲むだろう。
帰途は高いびきのはずだ。
私はそれを耳にしつつ運転する。

物見遊山は愚妻だけで、私は「駕籠かき」のようなものではないか。

そう言えば、すでに故人になったが、ある事件屋氏とマージャンを打つと、
「駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」
という言葉を好んで口にしていた。

これが世のなかの実相なのだろう。

つまり、私は愚妻を駕籠に乗せて、
「エッホ! エッホ!」
ということになる。

物見遊山どころではないことに、いま気がついたのだ。

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