歳時記

スマホとガラケー

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昨日は取材で都内に出かけた。
細かく移動するので、久し振りに電車にしたのだが、駅のホームの自動販売機を何気なく見ているうちに、パスモで購入できることを初めて知った。

どうやって購入するのかやり方がわらず、販売機のそばにさりさり気なく立って見ていたが、なかなか客が現れず、私も意地になって電車を1本見送った。

で、やがて現れた若者が商品の選択ボタンを押し、パスモをセンサーにタッチすると、ストンと飲料が取り出し口に落ちてきた。

あっけないというのか、バカバカしいほどの簡単さに感心したのである。

自分でも時代に遅れていることは承知していたが、あえてそれに逆らう生き方をしている。

必要があってアイパッドを持ち歩いてはいるが、電話はガラケーである。
電話に特化したガラケーのほうが使いやすいということもあるが、それだけではない。

スマホが急速に普及しはじめたころ、電車の中でスマホをいじる若者に、年配者の多くが苦言を呈した。

ところが、その年配者たちも、いまではこぞってスマホ。

かつて革命を叫んで学生運動をした若者たちが、「自己批判」の一切もなく、自分たちが敵とした資本主義社会にちゃっかり迎合していったのとよく似ている。

私は前々からタブレットを重宝しているし、スマホは便利だと思っている。
だからスマホに変えたいと思ってはいるのだが、スマホ批判をした人間たちの変わり身という節操のなさが好きではなく、それと同列になるのは嫌だという思いがある。

愚妻はとっくの昔にスマホにしているが、私はそんな理由があって、いまだにガラケーなのである。

「ヘンなことにこだわって、バカみたい」
と愚妻はあきれるし、メールのチェックにアイパッドをカバンから取り出すのは正直言って面倒である。
ウェブ検索も同様である。

これからの時代は、スマホは生活必需品になる。
それは承知している。
だが、スマホ批判をした節操のない人たちを身近に見ているので、それに対する抵抗もある。
くだらない抵抗とはいえ、私としては悩ましいところなのだ。

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