今朝はセミが鳴き、田んぼの上をトンボが飛んでいた。
夏の風情で、やっと夏が来たと思った。
連日の猛暑はただ暑いだけであって、気分的には「夏」ではない。
私の場合、夏はやはりセミにトンボである。
セミの鳴き声を聞き、トンボを目にすることで、子供のころの「夏休み」が懐かしく思い出されるのだろう。
脳のメカニズムについてはよくは知らないが、視覚と聴覚は記憶を刺激するということか。
歩きながらここまで考えて、
「では、目と耳の不自由な人はどうなのか?」
という思いがよぎった。
学生時代、アルバイト原稿で、盲目のマッサージ師を取材したことがある。
青年だったが、彼と並んで歩いていて、四つ角にさしかかると、
「そこを右です」
と言ってから、
「風が変わるからわかるんですよ」
と笑ったことを、いまもよく覚えている。
視覚が不自由なぶんたけ、皮膚感覚が鋭敏になったのだと言っていた。
彼と別れて帰途、私は四つ角に立ち止まって風を感じようとしたが、まったく無理だった。
結局、人間は「手持ちの札」で勝負するしかないということだ。
目が不自由なら別の感覚で、足が遅いなら別の能力で、要領が悪ければ努力でカバーする。
「あれが足りない」
「これがこうであったら」
と、何かのせいにするのは所詮、負け犬ということか。
短所は長所に転じる。
早朝散歩で考える
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