歳時記

「うなずく」ということ

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 茶の間でテレビを観ながら、
「お茶、飲む?」
 愚妻に問われて、私がコクリとうなずく。
「バナナ、食べる?」
 愚妻に問われて、私がコクリとうなずく。
「風呂、入る?」
 愚妻に問われて、私がコクリとうなずく。
「いいわよねぇ、うなずいていればいいんだから」
 愚妻が溜息をついて、文句を言う。
 浅はかな女だ。
 うなずくということが、どれほど心身に負担になるか知らないのだ。
 ことに週刊誌記者時代がそうだったが、取材というのは「聞き役」である。
 要点を過不足なくしゃべってくれる場合はいいが、ピント外れのことを延々と聞かされることがある。
 話の腰を折ってはいけないので、相づちだけは熱心に打ちつつ、話を核心にもどすべく機会をうかがう。
 だが、相づちは、うなずくという動作をともなう。
 これが楽ではないのだ。
 まして、相手が渦中のキィーパーソンで、どうしても話を引き出したいときは、うなずきもオーバージェスチャーになる。
 これが何時間も続けば、マジに首が痛くなるのだ。
 私は首を痛くしながら、妻子を養ってきたのだ。
 かつてのこの苦労も知らず
「いいわよねぇ、うなずいていればいいんだから」
 と、愚妻はノーテンキに言い放つ。
 私はこうして今日も、報(むく)われざる人生を歩んでいるのだ。

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