愚妻は連日、日帰り温泉に通っている。
「行ってくるわね」
「ただいま」
と、これまで言っていたが、最近は口にしなくなった。
当たり前になったからだ。
これが、馴れの恐さである。
蓮如上人にいわく、
『ひとつのことを聞きて、いつもめずらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり』
意味は、
「同じ教えを聞いても、いつも目新しく初めて耳にするかのように思うべきである」
というもので、聴聞の心構えを説いたもの。
真宗僧侶の私としてはこの教えを守り、愚妻がいつも初めて日帰り温泉に行ってきたように接するのだ。
「どこへ行ってきたんだ?」
「日帰り温泉」
「ほう、キミは日帰り温泉へ行っているのか!」
「ちょっと、それってイヤ味じゃない」
ヘソを曲げ、
「もうこれから週に2、3回にするわ」
と、プリプリ怒っている。
私は決してイヤ味ではなく、
「同じ教えを聞いても、いつも目新しく初めて耳にするかのように思うべきである」
という諭しを忠実に実践しただけなのだが、夫婦仲が険悪になってしまった。
蓮如上人も罪作りなものである。
「馴れ」を戒める
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