歳時記

リアリティーということ

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 いま、長野県の松代温泉。
 仕事を抱えて出かけ、2泊してこれから帰る。
 日曜日に実施した道場の秋期審査会も無事に終わって、一段落の気分で温泉に浸かった。
 審査会は、私も疲れる。
 昇級、昇段させるために8月からハッパをかけるからだ。
 たが、子供たちは言うことを聞かない。
「馬の耳に念仏」であるなら、「子供たちに説教」なのである。
「できないから受審させない」
 というのは簡単だが、「できない」は指導者の責任だ。
 できるようにするのが指導者。
 だが、言うことを聞かない。
 だから工夫する。
 疲れるのも道理である。
 だから、審査会のあとに温泉の予定を入れた。
 本当は一人でのんびり行きたいのだが、旅館の予約が億劫で、自分で予約してまでは出かけない。
 着替えやら何やら、支度もできない。
 必然的に愚妻と出かけることになるという次第。
 松代温泉を選んだのは、千葉から4時間と近い上、お湯がいいと聞いていたからだが、前々から「松代大本営」に行ってみたかったからだ。
 松代大本営は太平洋戦争末期、政府中枢機能移転のため、山中に掘られた地下坑道跡である。
 歴史は書籍でしか振り返ることはできないとしても、「歴史の現場」に立つことによってリアリティーをもって迫ってくる。
 問題は、現場に立って、何に思いを馳せるかだ。
「湿気で、足元がすべるわね」
「ひんやりとするわね」
 愚妻の感想である。
 なるほど、これにまさるリアリティーはあるまい。
 戦争末期の日本の状況について解説しようと思ったが、このリアリティーにはとてもかなうまい。
 五感にまさるリアリティーはないのだと、認識を新たにした次第。
 子供の空手指導のカギが、ここにあるような気がするのだ。

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