歳時記

人生の〝地ならし〟

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「戦争でも起きるのかしらねぇ」
 愚妻が、テレビニュースを見ながら言った。
 北朝鮮のミサイル打ち上げ、トランプの強行政策、大統領罷免で揺れる韓国、中国の横暴、英国のEU離脱、シリアやスーダンの内戦、IS、金政男の暗殺・・・。
 さらに言えば、森友事件、安倍内閣の驕り、文科省の天下り、豊洲問題など、愚妻は気分的に世情不安を感じ取っているのだろう。
 こういう心理になったときは、たとえ戦争が起きても「意外性」はない。
「なんでことを!」
 という憤りは起こらず、
「ああ、やっぱり」
 と受容してしまう。
 ここに怖さがある。
 つまり、人間はムードに〝地ならし〟をされてしまうのである。
 謹厳実直な亭主が浮気すれば家庭は修羅場だが、
「この人、浮気するかも」
 と、ムード的に〝地ならし〟のできた亭主であれば、
「ああ、やっぱり」
 という気分になる。
 とりあえず修羅場にはなるだろうが、
「なんてことを!」
 という〝青天の霹靂〟にはなりにくいというわけだ。
 愚妻は私のことを「極楽とんぼ」と揶揄するが、これは愚妻の思慮が浅い。
「この人には何を言ってもダメだ」
 と、私は平素から〝地ならし〟をしているのである。
 ついでに言っておけば、人生も同じ。
 自分で自分の人生を〝地ならし〟しておけば、
「まさか!」
 というショックは受けないですむ。
 私にとって〝人生の地ならし〟は、
「うまくいかないのが人生」
 と笑い飛ばす「積極的な諦観」なのである。

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